公開日 2026年6月30日
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こんにちは。
今回は、「本郷温泉」という広島県福山市に存在した温泉街の衰退・消滅要因について考察していきます。
概要
広島県福山市にある本郷温泉は1960年代に最も賑わい、山の谷間に12軒の旅館が立ち並ぶ広島県最大の温泉街でした。
1970年代になると衰退し、2016年(平成28年)に本郷温泉全ての旅館が廃業しました。

【2024年12月筆者撮影】現在の本郷温泉です。廃業した旅館や廃墟化した建物が立ち並んでいます。
考察の背景
本郷温泉の衰退・消滅理由について一般的には、レジャーの多様化であると言われています。ですが、本郷温泉が直面したレジャーの多様化ついて具体的に述べている資料はほとんどありません。
そのため、レジャーの多様化が本郷温泉に与えた影響について、詳細は明らかになっていないという問題があります。
また、筆者はレジャーの多様化の他に、複数の要因があると考えています。さらに複数の要因を細分化すると、「多くの温泉街が直面した要因」と「本郷温泉特有の要因」があります。
この考察によって本郷温泉の衰退・消滅要因と、詳細に本郷温泉の歴史を理解することができれば幸いです。
本郷温泉の衰退・消滅要因
1970年代になると、本郷温泉の客足が減少して温泉街は衰退してきました。それについて筆者は、本郷温泉を含む多くの温泉街が直面した3つの要因と、本郷温泉特有の2つの要因があると考えます。
本郷温泉を含む多くの温泉街が直面した3つの要因
レジャーの多様化
1つ目の要因は、レジャー(余暇)の多様化によって本郷温泉の魅力が価値を失ったことです。
1960年代以前は、電車・バス・ハイヤーといった公共交通機関を利用し、家族や社員旅行で温泉地に訪れるレジャーが一般的でした。温泉は疲れを癒すだけが目的ではなく、景色や趣向を凝らした浴場で非日常を体験するという楽しみがありました。宴会場では芸子さんによるお座敷唄とともに、地域の名物料理を堪能しつつ酒を酌み交わして、賑やかな雰囲気を楽しんでいました。
1970年代と比較すると、マイカーや貸切バスの台数は少なく、社員旅行の人数規模も多くはありませんでした。そのため道幅がやや狭く、大規模駐車場が整備されていない谷間の本郷温泉でも問題はなかったのです。
また、本郷温泉のパンフレットや資料などから旅館12軒の規模を確認すると、宿泊人数20~70人程度、客室数10~20室程度、宴会場40畳~100畳程度でした。宿泊人数と比較して客室数が少ないのは、相部屋として親子3世代や社員旅行の団体が、1部屋に複数人で泊まることを主としていたからです。

【筆者所有資料】福山本郷温泉組合が発行した観光案内パンフレットです。本郷温泉の効能、「松露園」「大谷荘」「胡楼別館」「魚清別館」「末吉旅館」「滝元荘」の売りと収容人数が記載されています。

【筆者所有資料】1968年(昭和43年)に、福山市商工部観光課が発行した観光パンフレットです。福山市の様々な景色が掲載されており、その中には夜の谷間を眩い光で照らす本郷温泉の俯瞰写真もあります。さらに「滝元荘」を除く11旅館の収容人数や宿泊料金が記載されています。
1970年代になると、マイカーの普及率が増加したことでレジャーの多様化が進みました。公共交通機関で訪れることができるレジャー先から、車で自由に訪れることができる郊外のレジャー先に変化したのです。
その結果、大規模駐車場がある郊外や遠方のテーマパーク・大型温泉街・リゾートホテル・ゴルフ場・スキー場などが選ばれるようになりました。それによって、温泉街に求められる魅力も変化しました。
1960年代に求められたのは、趣向を凝らした浴場による非日常、趣のある和室、地域の名物料理、自然豊かな景観、公共交通機関によるアクセスの良さなどでした。
1970年代に求められたのは、近代的な洋室、プール・テニスコートなどを備えた大規模総合ホテル、近場の歓楽街、温泉街までの広い道、十分な駐車場などでした。
本郷温泉の魅力は、レジャーの多様化によって価値を失いました。それと同時に、求められたものは当時の本郷温泉に無い要素ばかりだったのです。
社員旅行の人数規模増加
2つ目の要因は、社員旅行の人数規模増加によって宿泊施設の選択基準が変わったことです。
1960年代後半から新卒一括採用が一般化すると同時に、1947年(昭和22年)~1949年(昭和24年)の第1次ベビーブームで誕生した世代が会社員として働き始めました。
さらに、1970年代になると女性の社会進出も進みました。そのため、1960年代後半から社員旅行の人数規模は大きく増加しました。
社員旅行の人数規模が増加すると、大型貸切バスが連なっても問題のない道幅や広い駐車場、収容人数・客室数の多い旅館・ホテルが選ばれるようになりました。
オイルショック
3つ目の要因は、オイルショックによる旅行客減少とボイラー燃料費の負担増加です。
1973年(昭和48年)、中東情勢の悪化でオイルショックが起こり、原油価格の高騰による物価高や買い占め騒動によって国内は混乱しました。政府による石油節約運動も行われ、ドライブ自粛、暖房の控えめ使用、電灯やネオン看板の早期消灯などが呼び掛けられました。
家族旅行や団体旅行も控えられ、本郷温泉だけでなく多くの観光地から一時的に旅行客が消えました。
また原油価格の高騰は、本郷温泉を含む全ての温泉街にとって大きな痛手でした。温泉を沸かすボイラー燃料費の負担が増えるためです。特に本郷温泉は冷泉であるため、ボイラー燃料費の負担はさらに増加しました。
本郷温泉特有の2つの要因
「鞆の浦」と「尾道」の存在
1つ目の要因は、歴史ある町並みやストーリー性を持つ「鞆の浦」と「尾道」の人気が高まったことです。
「鞆の浦」は、広島県福山市にある景勝地です。奈良時代には港として開かれ、「潮待ちの港」として近世まで栄え、現在では江戸時代の港湾設備と港町の町並みを色濃く残す風光明媚な観光地として人気があります。古代からの重要拠点、戦いや政治の場、竜馬ゆかりの地などのストーリー性を持つ場所です。

【2023年1月筆者撮影】風光明媚な鞆の浦の様子です。写真左側にある「常夜灯」、写真中央にある「雁木」という階段状の船着き場や近世の家屋など、港として栄えた江戸時代の町並みが残っています。
「尾道」は、広島県尾道市にある景勝地です。平安時代に港が開かれてから交通の要衝として栄え、現在では坂道や細い路地に立ち並ぶレトロな町並みが美しい観光地として人気があります。長い歴史がある寺社仏閣群、文人・芸術家ゆかりの地、戦前からの映画ロケ地などのストーリー性を持つ場所です。

【2022年4月筆者撮影】寺社仏閣とレトロな町並みが広がる尾道の様子です。写真下部に「天寧寺三重塔」などの寺社仏閣、写真中央は尾道の町並み、写真上部が海峡である「尾道水道」です。どこか懐かしさを感じられる町並みが広がっています。
1970年代になると、「アンノン族」と呼ばれる若い女性観光客が、小京都のような雰囲気がある町並みへ訪れる現象が起こりました。それをきっかけに、歴史ある町並みやストーリー性がある観光地の人気が高まるとともに価値が認められ、それらの宣伝や保存が積極的に行われるようになりました。
1975年(昭和50年)には文化財保護法が改正され、歴史的な町並みを保護する「伝統的建造物群保存地区制度」が新設されました。
この流れを受け、「鞆の浦」や「尾道」は観光地としての競争力と人気を高めていきました。その反面、歴史ある町並みも無くストーリー性も見いだせない本郷温泉は、観光地としての競争力と人気を失いました。
大正時代から、「鞆の浦」や「尾道」は人気の観光地でした。ですが、人気がある要素としては瀬戸内海の景色、保養地、海水浴場、郷土芸能観覧、寺社仏閣などでした。1970年代には、歴史ある町並みとストーリー性も要素として加わり、その人気を高めたのです。
さらに、本郷温泉は「鞆の浦」と「尾道」の間に存在します。距離にして、本郷温泉から「鞆の浦」までは直線距離約17キロ、「尾道」までは直線距離約9.5キロと、それほど距離はありません。
そのため本郷温泉の左右に、競争力と人気を高めた「鞆の浦」と「尾道」という観光地が存在ある以上、選択肢として本郷温泉は選ばれにくい状況となっていたのです。
主要道の需要低下
2つ目の要因は、本郷温泉へ続く主要道の需要低下による交通量減少です。
本郷温泉まで続く主要道は「広島県道158号尾道新市線」という県道で、南にある尾道市や松永地域と、北にある府中市や新市町を結ぶ道路です。この県道は本郷温泉の主要道で、南にある本郷温泉の歓迎ゲートから北にある温泉街の末端まではバスが通行できるほどの道幅があります。
ですが、温泉街を過ぎると急激に道幅が狭まります。その道幅は約2メートルです。落石も多く、長い急勾配もあり、離合も難しい曲がりくねった整備の悪い道です。このような「広島県道158号尾道新市線」ですが、1960年代までは本郷温泉や南北へ通り抜けるための需要があり、一定の交通量がありました。

【2026年6月筆者撮影】道幅が狭まっている区間の「広島県道158号尾道新市線」の様子です。道路は落ち葉に覆われ、小さな落石・小枝などもある整備の悪い道です。轍は確認できず、交通量は非常に少ないと推測されます。
しかし1970年代になると、南北へ通り抜けることができる道幅の広い道路が本郷温泉の付近に整備されました。
それは、1976年(昭和51年)に主要地方道となった「広島県道48号府中松永線」です。この道路は本郷温泉から西に1キロほどの場所を南北に通っており、「広島県道158号尾道新市線」とほぼ同じ地域を結んでいます。
そのため、「広島県道48号府中松永線」が整備されるにつれて、本郷温泉の主要道である「広島県道158号尾道新市線」の需要は低下しました。それに伴って交通量も減少したと考えられます。
南北へ通り抜ける需要が低下した上、温泉街を過ぎると整備の悪い道となる「広島県道158号尾道新市線」は事実上、本郷温泉へ訪れるのみに利用される道となりました。
筆者の推測ですが、1970年代の本郷温泉は観光客からすると、訪れるために時間と労力のコストが高まる場所となっていたのではないでしょうか。魅力の失われた温泉街とわざわざ訪れるコストを天秤にかけると、本郷温泉ではなく魅力ある他の観光地に時間と労力を使うという判断になると想定されます。
南北へ抜ける道としての需要が低下し、訪れるためのコストが高まった本郷温泉は存在感を薄めていきました。
まとめ
本郷温泉を含む多くの温泉街が直面した3つの要因
●レジャー(余暇)の多様化による本郷温泉の価値喪失
●社員旅行の人数規模増加によって宿泊施設の選択基準が変化
●オイルショックによる旅行客減少とボイラー燃料費の負担増加
本郷温泉特有の2つの要因
●歴史ある町並みやストーリー性を持つ「鞆の浦」と「尾道」の存在
●温泉街へ続く主要道の需要低下による交通量減少
以上が本郷温泉の衰退・消滅要因です。
最後までご覧いただきありがとうございました。
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