公開日 2026年5月28日
本郷温泉の関連投稿
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こんにちは。
今回は、「本郷温泉」という広島県福山市に存在した温泉街の歴史について調査しました。
本郷温泉の歴史
はじまり
本郷温泉は1914年(大正3年)に「岡田徳太郎」という人物が、大谷川上流にある「本郷鉱山(別名:大谷鉱山)」という銅山の廃坑道から湧く水に注目したことからはじまりました。この湧水を水質検査した結果、「ラジウム」を含む温泉であると判明しました。
病気への効能や水質検査された温泉が珍しかったことで評判となり、1917年(大正6年)に「本郷ラヂウム温泉」という村営温泉が開業しました。
非常に人気があった温泉でしたが、建物や設備の老朽化で評判が悪くなり客足は減少、1928年(昭和3年)に閉業しました。
これにより、本郷温泉は終了となりました。

【2026年6月筆者撮影】「本郷鉱山」の「千人坑」と呼ばれる坑道口です。内部は縦横無尽に通じているところもあり、1,000人が余裕で入ることができるほど長いことから「千人坑」と呼ばれています。「本郷鉱山」は、室町時代から江戸時代初期にかけて銅を採掘していました。現在も大谷川上流の斜面には、いくつかの坑道口を見ることができます。

【2026年6月筆者撮影】「千人坑」の内部です。光が届かないほど坑道が奥まで続いています。坑道の壁面はやや湿り気があり、ほろほろと崩れる粘土のような質感をしています。坑道の地面は湧水によって満たされており、坑道口の外から付近の道路へ流れ出ていました。この湧水に、ラジウムが含まれていると推測されます。
再開
本郷温泉が再び注目されるようになったのは、村営温泉閉業から22年後のことです。1950年(昭和25年)に「表田幸一」という人物が、当時の本郷村村長に温泉の再開を掛け合ったことがはじまりです。
再開した本郷温泉の浴場は「大谷温泉」として、現在の「大谷荘」がある場所に作られました。浴場は狭く、竹樋で温泉を引き、2つに割ったドラム缶を風呂釜として沸かす原始的な設備でした。
「大谷温泉」は評判が広まり、増改築の絶える間がないほど賑わう温泉浴場となっていきました。
発展
「大谷温泉」の賑わいと発展によって、温泉としての正式な認可が必要となりました。そこで、実地踏査や分析試験が行われ、1953年(昭和28年)に「本郷温泉」という温泉公称の許可を得ました。
温泉公称の許可によって、「大谷温泉」付近に温泉旅館の開業を希望する業者が次々と参入するようになりました。
1953年(昭和29年)に「滝口温泉」が開業、その後も様々な旅館が開業し、どれもが増改築を繰り返して規模を大きくしていきました。中には、「ジャングル風呂」、「空中温泉」、「水車風呂」といった物珍しい浴場を備えた旅館もありました。
交通も発展し、温泉街の道幅が拡張され、路線バスや直通バスが運行されるようになりました。
このように発展した本郷温泉は広島県最大の温泉街となり、1965年(昭和40年)には12件の旅館が軒を連ねていました。本郷温泉は1960年代が最盛期で、一年を通して賑わっていた大人気の温泉街でした。

【筆者所有資料】「つるはし」「魚清別館」「大谷荘」「やまげん」のパンフレットです。どの旅館も、趣向を凝らした浴場を魅力として宣伝しています。現在は「やまげん」以外、廃墟として建物が残っています。
衰退
1970年代になると、客足は減少して本郷温泉は衰退していきました。その大きな要因について筆者は、「本郷温泉を含む多くの温泉街が直面した要因」と、「本郷温泉特有の要因」があると考えます。
「本郷温泉を含む多くの温泉街が直面した要因」は3つあり、1つ目はレジャーの多様化、2つ目は社員旅行の人数規模増加、3つ目はオイルショックです。
「本郷温泉特有の要因」は2つあり、1つ目は「鞆の浦」と「尾道」の存在、2つ目は主要道の需要低下です。
これらの要因について詳しくは、「【広島県福山市】本郷温泉の衰退・消滅理由について考察-2026年6月記述」で述べています。
このような1970年代の時代背景から、本郷温泉は衰退していきました。
学生寮への転身
本郷温泉の衰退によって旅館としての需要が少なくなってくると、その多くは廃業もしくは1975年(昭和50年)に開学した福山大学の学生寮へ転身するようになりました。
学生寮へ転身した本郷温泉の旅館から福山大学まで、直線距離にして約4キロほどであり、自家用車や路線バスを利用して通学できる場所でした。
ですが、学生寮としての利用も長くは続きませんでした。その要因について筆者は、市街地から距離があることと建物の古さであると考えます。
本郷温泉の学生寮は福山・松永・尾道市街地から距離がありました。そのため、市街地に近いアパートや学生寮のほうが人気だったと推測されます。
また、福山大学開学前から存在していた建物より、開学と同時期もしくは以後に新築された建物が選ばれやすく、新しい建物が増加すると本郷温泉の学生寮は選ばれなくなりました。
さらに、福山大学が開学後、校内に女子寮を建設したことも要因と言えます。女子寮は、1982年(昭和57年)に第1寮、1983年(昭和58年)に第2寮が建てられています。
このような背景から、学生寮としての利用も長くは続かず次第に廃業、2006年(平成18年)時点で営業しているのは「末吉」という旅館1軒のみとなりました。
全ての旅館が閉業
2016年(平成18年)1月、本郷温泉の中で最後まで営業していた「末吉」が閉業しました。これにより、1950年(昭和25年)から発展した本郷温泉は終了しました。
新しい旅館の開業
2016年(平成18年)に全ての旅館が閉業してから10年後の2026年(令和8年)3月、本郷温泉に新しい旅館が開業しました。「Still Point」という名前の旅館で、数奇屋造りの日本家屋を1日1組限定で1棟貸しています。
温泉旅館ではないものの、全ての旅館が廃業した温泉街に新たな宿泊施設が開業したことは、本郷温泉にとって大きな意味があると言えます。

【2026年6月筆者撮影】「Still Point」の表玄関です。四季を感じられる様々な植物による庭と、重厚な日本家屋が特徴の静かな空間です。
まとめ
以上が、調査をした本郷温泉の歴史です。
最後までご覧いただきありがとうございました。
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