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【広島県福山市】本郷温泉-はじまりから発展、衰退までの歴史-2026年5月記述

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こんにちは。

今回は、「本郷温泉」という広島県福山市に存在した温泉街の歴史について調査しました。

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本郷温泉の歴史

はじまり

本郷温泉は1914年(大正3年)に「岡田徳太郎」という人物によって、大谷川上流にある廃坑道の湧水が、水質検査の結果「ラジウム」を含む温泉であると判明したことからはじまりました。

病気への効果や水質検査された温泉が珍しかったことで評判となり、1917年(大正6年)に「本郷ラヂウム温泉」という村営温泉が開業しました。

非常に人気があった温泉でしたが、建物や設備の老朽化で評判が悪くなり客足は減少、1928年(昭和3年)に閉業しました。

これにより、本郷温泉は終了となりました。

再開

本郷温泉が再び注目されるようになったのは、村営温泉閉業から22年後のことです。1950年(昭和25年)に「表田幸一」という人物が、当時の本郷村村長に温泉の再開を掛け合ったことがはじまりです。

再開した本郷温泉の浴場は「大谷温泉」として、現在の「大谷荘」がある場所に作られました。浴場は狭く、竹樋で引かれた温泉をドラム缶を2つに割った風呂釜で沸かす原始的な設備でした。

ですが、温泉の効果によって評判が広まり、人気となっていきました。

発展

「大谷温泉」の賑わいと発展によって、温泉としての正式な認可が必要となりました。そこで、実地踏査や分析試験が行われ、1953年(昭和28年)に「本郷温泉」という温泉公称の許可を得ました

温泉公称の許可によって、「大谷温泉」がある大谷川沿いに温泉開業を希望する業者が次々と参入するようになりました。

1953年(昭和29年)に「滝口温泉」が開業、その後も様々な旅館が開業し、どれもが増改築を繰り返して規模を大きくしていきました。中には、「ジャングル風呂」、「空中温泉」、「水車風呂」といった物珍しい浴場を備えた旅館もありました。

交通も発展し、温泉街の道幅が拡張され、路線バスや直通バスが運行されるようになりました。

このように発展した本郷温泉は広島県最大の温泉街となり、1965年(昭和40年)には12件の旅館が軒を連ねていました。本郷温泉は1960年代が最盛期で、一年を通して賑わっていた大人気の温泉街でした。

衰退

1970年代になると、客足は徐々に減少して本郷温泉は衰退してきました。その大きな要因について筆者は、レジャーの多様化に対応できなかったことであると考えます。

1960年代以前は、公共交通機関・貸切バス・ハイヤーを利用して家族や社員旅行で温泉地に行き、温泉に浸かったり宴会をして余暇を楽しむというレジャーが主でした。70年代と比較すると、マイカーや貸切バスの台数は少なく、社員旅行の人数規模も多くはありませんでした。

そのため、道幅がやや狭く、大規模駐車場が整備されていない谷間の本郷温泉でも問題はありませんでした。また、本郷温泉のパンフレットや資料などから旅館の規模を確認すると、大規模な旅館であっても客室は最大20室程度、宴会場は最大100名規程度でした。

1970年代になると、マイカーの普及率が増加したことでレジャーの多様化が進みました。公共交通機関で行くことができるレジャー先から、車で自由に行くことができる郊外のレジャー先に変化したのです

その結果、郊外の大規模駐車場があるテーマパーク・ゴルフ場・スキー場などが選ばれるようになりました。

社員旅行も変化しました。1970年代は、女性の社会進出増加や新卒一括採用の導入、そして1947年(昭和22年)~1949年(昭和24年)の第1次ベビーブームで誕生した世代が、会社員として働き始めた時代でした。そのため、70年代頃から社員旅行の人数規模は非常に増加しました。

社員旅行の人数規模が増加すると、大型貸切バスが連なっても問題のない道幅や広い駐車場、客室・宴会場の収容人数の多い旅館が選ばれるようになりました。

このような70年代の時代背景から、本郷温泉は衰退していきました。

学生寮への転身

本郷温泉の衰退によって旅館としての需要が少なくなってくると、その多くは廃業もしくは1975年(昭和50年)に開学した福山大学の学生寮へ転身するようになりました。

学生寮へ転身した本郷温泉の旅館から福山大学まで、直線距離にして約4キロほどであり、自家用車や路線バスを利用して通学できる場所でした。

ですが、学生寮としての利用も長くは続きませんでした。その要因について筆者は、市街地から距離があることと建物の古さであると考えます。

本郷温泉の学生寮は福山・松永・尾道市街地から距離があったため、市街地に近いアパートや学生寮のほうが人気でした。

また、福山大学開学前から存在していた建物より、開学と同時期もしくは以後に新築された建物の人気が高く、市街地に新しい建物が増加すると本郷温泉の学生寮は選ばれなくなりました。

さらに、福山大学が開学後、校内に女子寮を建設したことも要因と言えます。女子寮は、1982年(昭和57年)に第1寮、1983年(昭和58年)に第2寮が建てられています。

このような背景から、学生寮としての利用も長くは続かず次第に廃業、2006年(平成18年)時点で営業しているのは「末吉」という旅館1軒のみとなりました。

全ての旅館が閉業

2016年(平成18年)1月、本郷温泉の中で最後まで営業していた「末吉」が閉業しました。これにより、1950年(昭和25年)から発展した本郷温泉は終了しました。

新しい旅館の開業

2016年(平成18年)に全ての旅館が閉業してから10年後の2026年(令和8年)3月、本郷温泉に新しい旅館が開業しました。「Still Point」という名前の旅館で、数奇屋造りの建物を1日1組限定で1棟貸しています。

温泉に入浴できる旅館ではありませんが、全ての旅館が廃業した温泉街に新たな旅館が開業したことは、本郷温泉にとって大きな意味があると言えます。

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まとめ

以上が、調査をした本郷温泉の歴史です。

最後までご覧いただきありがとうございました。

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