スポンサーリンク

「スカイレスト ニューむろと」閉業理由や設計などの謎を考察-2025年3月記述

高知県

公開日 2025年3月8日

追記・変更
2026年1月8日
●「深掘りコーナー」を追加、「閉業した理由」に具体的な根拠・資料を追記
2026年4月21日
●「まとめ」へ箇条書きにした考察の結論を追加
2026年8月8日
●「観光開発と「漁火の郷」について」を追加
2026年9月22日
●「「室戸スカイライン」の利用者数について」に通行料金不満の声を追記

こんにちは。

今回は、「スカイレスト ニューむろと」という高知県室戸市に存在する廃墟の謎について考察していきます。

スポンサーリンク

概要

「スカイレスト ニューむろと」閉業理由や設計などの謎を考察-2025年3月記述

出典:2024年8月筆者撮影

1972年(昭和47年)7月18日に開業した「スカイレスト ニューむろと」は、レストラン・宴会場・結婚式場などを備えた複合施設として建てられました。

総工費は、1972年(昭和47年)当時の金額で約1億2000万円です。

1978年(昭和53年)頃に休業(閉業)したと推測され、休業後は再開されることなく現在は廃墟として現存しています。

休業年月日や廃業年月日についてはこちらをご覧ください。
「「スカイレスト ニューむろと」歴史・施設内容・現地レポ-2024年8月訪問」

スポンサーリンク

考察の背景

「スカイレスト ニューむろと」は、独特な外観と圧倒的廃墟感から全国的に有名な廃墟です。また、心霊トークで有名な「稲川 淳二」さんが実際に足を運んで紹介したこともあり、心霊スポットとしても知名度が高いです。

そのため、廃墟としての「スカイレスト ニューむろと」の情報は多数確認できます。

ですが、営業期間が6年ほどと短いことから当時の情報が乏しく、営業時の「スカイレスト ニューむろと」の情報はほとんど確認できません。

このような背景から、全国的に有名な廃墟でありながら営業当時の情報は無い、謎が多い施設として認知されています。

ネット上では短い営業期間や休業(閉業)した理由について、事件や事故が起こったからではないかという噂もあります。

そこで、この考察では休業(閉業)理由や設計など、「スカイレスト ニューむろと」に関する様々な謎について資料を基に明らかにします。

スポンサーリンク

立地・役割について

この場所に建設された理由

「スカイレスト ニューむろと」がこの場所に建設された理由は、近い将来に室戸岬山頂が開発されることを想定していたためです。

昭和47年7月16日発行の高知新聞には「展望レストラン完成」という見出しで、室戸岬山上に展望レストランがオープンしたという内容の記事があります。記事には、「市としては岬突端部は旅館街の移転も含めて景観の復活と保持、山上と周辺は開発歓迎の意向」との記載があります。

このように、岬突端部は開発せず自然な景観を復元し、山頂を開発して観光地化するという計画でした。そのため、岬と山頂を結ぶ「室戸スカイライン」を開通させたのです。

実際、1970年(昭和45年)に「室戸スカイライン」が完成した後、山頂には「国民宿舎むろと」や観光協会直営の売店が完成し、開発の形が出来つつありました。そして1972年(昭和47年)に、山頂へ初の民間企業進出による「スカイレスト ニューむろと」が完成し、今後の室戸岬山頂の発展が期待されました。

将来は岬突端部の旅館が山頂に移転するほか、山頂だけでなく山麓を含めて様々な施設を建設する大規模な開発計画がありました。(詳しくは、ブログ内「深堀コーナー」の「観光開発と「漁火の郷」について」をご覧ください。)

しかし「室戸スカイライン」の利用者数が想定より下回ったことで開発計画は頓挫し、「スカイレスト ニューむろと」の完成以降、山頂は開発されることなく現在に至ります。(詳しくは、ブログ内の「休業(閉業)した理由について」をご覧ください。)

担っていた役割

「スカイレスト ニューむろと」は、「室戸スカイライン」の中心となる観光施設およびドライブインの役割を担っていました。

1970年(昭和45年)に開通した「室戸スカイライン」は、開通後1年が経過しても山頂に注目されるような名所や観光施設がありませんでした。さらに全線開通ではないこともあり、想定より利用者数が下回る状況が続いていました。

そのような状況の中、「スカイレスト ニューむろと」は様々な設備や機能をそろえた待望の施設として建設されたのです。

建設の目的は「室戸スカイライン」の利用者数増加、新しい魅力の創造、山頂での滞在時間増加、滞在の快適性向上などです。

山頂に何もないからこそ、観光地としてこの場所に求められる全てを備えた施設が必要でした。

そのため、ドライブインとしてのレストラン・喫茶、360度見渡せる展望台、団体客にも対応できる宴会場、眺望を売りとする結婚式場などを備えたのです。

駐車場も、マイカーや団体の大型バスによる利用を想定していたため、乗用車100台、大型バス20台を停めることのできる駐車場を整備していました。

結婚式場や宴会場について筆者の推測ですが、「スカイレスト ニューむろと」の運営会社が室戸岬の海岸沿いでホテルを経営していたため、これらを関連して利用する計画があったのかもしれません。

運営会社についてはこちらをご覧ください。
「「スカイレスト ニューむろと」歴史・施設内容・現地レポ-2024年8月訪問」

「足摺海底館」をライバル視

ブログ内「この場所に建設された理由」で引用した昭和47年7月16日発行の高知新聞記事には、「西の竜串の海中展望塔に負けじと、東の室戸岬に山上展望レストランが十六日オープンする」という記載があります。

記事にあるように、1972年(昭和47年)7月に東の室戸で「スカイレスト ニューむろと」が完成する半年ほど前、1972年(昭和47年)1月に西の足摺(正確には竜串海岸)に「足摺海底館」という海中展望塔が完成しました。

「スカイレスト ニューむろと」閉業理由や設計などの謎を考察-2025年3月記述

出典:2025年3月筆者撮影

「足摺海底館」は海上7メートルの高さに展望部が十字に張り出しており、「スカイレスト ニューむろと」と展望部の構造が似ています。

東西でどちらも岬が近いという立地、そして完成時期と構造が似ていることから、互いにライバル視していたのでしょう。

スポンサーリンク

設計について

独特な設計の理由

「スカイレスト ニューむろと」閉業理由や設計などの謎を考察-2025年3月記述

出典:2024年8月筆者撮影

「スカイレスト ニューむろと」は高さ17メートル、直径3.5メートルの柱3本から1階と3階が3方向に張り出し、2階部分が吹き抜けとなっている独特な構造をしています。

独特な設計の理由について、ブログ内「この場所に建設された理由」で引用した昭和47年7月16日発行の高知新聞記事によると、「自然公園法規制区域のため、美観保持の観点から設計が再三変更された」という内容が記載されています。

記事には、「直径三・五メートルの三本の支柱を十七メートルも伸ばし、風の強いことを勘定に入れ二階部分を吹き抜けにした変則三階建て。一、三階は三方に張り出し岬方面はもとより、徳島や高知の海岸線など緑と青のすばらしい景色が楽しめる。」と記載されています。

このことから、特徴的な外観は自然保護法による美観保持と強風対策を考慮した結果であることが分かります。

「「スカイレスト ニューむろと」歴史・施設内容・現地レポ-2024年8月訪問」で「、スカイレスト ニューむろと」は「鉄骨鉄筋コンクリート造」ということが判明しました。

3本の柱で展望部分を支えることと、強風に耐えることを考慮して頑丈に作られているのでしょう。

展望部の外壁のみが朽ちた理由

「スカイレスト ニューむろと」閉業理由や設計などの謎を考察-2025年3月記述

出典:2024年8月筆者撮影

この写真のように「スカイレスト ニューむろと」は、周囲と比較して張り出した展望部の外壁のみが剥がれ落ちていることが分かります。

筆者の推測ですが、この要因は中央の柱にかかる負荷を軽減するために展望部の外壁を薄く軽量に設計したためであると考えます。

また、張り出している構造上、潮風や強風の影響を受けやすいということも大きな要因です。

展望部の外壁を重量のある鉄骨やコンクリートにすると、中央の柱にかかる負荷が増加します。そのため、展望部の外壁は薄く軽量に作る必要があったのではないかと考えられます。

大砲のような突起がある理由

「スカイレスト ニューむろと」閉業理由や設計などの謎を考察-2025年3月記述

出典:2024年8月筆者撮影

この写真のように「スカイレスト ニューむろと」には、柱の一番上部に大砲のような突起が1柱につき3か所あります。

筆者の推測ですが、この突起は換気口の排気フードと考えます。

排気フードを水平方向に大砲のような形状とすることで雨風が入りにくくなります。また、コンクリート製にすることで耐久性と統一感をもたせることができます。まさに、過酷な天候にも耐えられるよう設計された排気フードと言えるでしょう。

柱の上部に換気口が必要である理由は、換気と火災時排煙のためです。

「スカイレスト ニューむろと」は3つの柱の内部に、それぞれ1階から屋上まで螺旋階段がつながっています。螺旋階段の中心部には柱が無いため、螺旋階段部は1階から屋上まで吹き抜けのようになっています。

換気としては窓を開けなくとも常時換気ができるように、火災時には螺旋階段を通じて最上階の排気口から煙が排出されるように、換気口が設置されたと思われます。

スポンサーリンク

休業(閉業)した理由について

「スカイレスト ニューむろと」は1972年(昭和47年)7月18日に開業しました。しかし、開業から6年後の1978年(昭和53年)頃に休業(閉業)し、再開されることはありませんでした。

休業(閉業)の正確な理由は不明です。

筆者は、以下の3つが有力な要因であると考えています。

スポンサーリンク

深堀コーナー

観光開発と「漁火の郷」について

観光開発が頓挫したことで、計画されていたものの実現しなかった多くの施設があります。

これら全てを実現しようとするならば莫大な資金が必要となります。ですが、これらが計画され、一部が実現したということは、完全な夢物語ではなかったということでしょう。

室戸岬山頂

室戸岬山頂には「室戸スカイライン」を開通させ、山頂を中心として観光開発することを目指していました。山頂には、以下のような施設の建設が計画されていました。しかし、結果的に実現したのは太字の施設のみでした。

●売店「観光協会直営売店」(1970年(昭和45年)から1971年(昭和46年)の間に開業)
●国民宿舎「国民宿舎むろと」(1971年(昭和46年)7月開業)
●ドライブイン「スカイレスト ニューむろと」
(1972年(昭和47年)7月開業)
●キャンプ場「室戸岬キャンプ場」(1973年(昭和48年)6月開業)
●岬突端から移転した旅館・ホテル
●ゴルフ場
●天文科学館
●動物園
●亜熱帯植物園
●室戸と阪神地域を結ぶヘリコプター発着場

高岡地域

さらに室戸岬山麓の高岡地域も開発し、山頂と山麓を接続して立体的な回遊が行われる観光地を目指していました。高岡地域には、以下のような施設の建設が計画されていました。

●高岡地域から山頂までのロープウェイ
●高岡地域から山頂までの動く歩道(おそらくエスカレーターのこと)
●民俗資料館
●観光センター
●磯釣りセンター
●水中レストラン
●海底トンネル
●水中エレベーション(おそらくエレベーターのこと)

「漁火の郷」

1973年(昭和48年)には室戸岬山頂に「漁火の郷」という、漁業後継者育成と青少年レクリエーションを兼ねた施設の構想が生まれました。構想段階では、以下のような施設が計画されていました。

●スポーツ場
●フィールドアーチェリー場
●サイクリングコース
●お土産販売店
●展望台
●遊歩道
●海洋科学センター
●実物の250トン級遠洋漁船1隻を浮かべた巨大プール
●世界の遠洋漁業基地にある民家をモデルとしたバンガロー宿泊施設
●漁業関係資料を展示した博物館

「室戸スカイライン」の利用者数について

1970年(昭和45年)4月1日に開通した「室戸スカイライン」は、片道約3.7キロ(最御崎寺付近の料金所から津呂山山頂までは片道約1.9キロ)と、全線開通ではないため山頂でUターンして戻る必要がありました。

ですが、開通した直後は若者によるマイカー・バイクブームと、室戸岬を山頂から一望できるという物珍しさもあって多くの利用者数がありました。しかし、わずか1年で利用者数は大きく減少しました。

1971年(昭和46年)4月13日の高知新聞記事には、「一日に平均百九十台 初年度は不本意な出足」という見出しで、開通後1年経過した「室戸スカイライン」のことが掲載されています。記事には、「この程度の売り上げだと一般諸経費を引いて県の計画の60パーセントぐらい」と記載されています。

全線開通前の「室戸スカイライン」利用者数が減少した要因について、以下のことが理由と考えられます。

全線開通前の「室戸スカイライン」利用者数が減少した理由
●入る際も出る際も片道ごとに通行料金を徴収
●山頂でUターンして戻るため、行きと帰りで風景に変化がない
●開通後1年経っても、山頂に注目されるような施設がない

減少した理由に挙げたこれらの状況は、当時から不満の声がありました。例えば通行料金について、高知新聞の「室戸スカイライン」に関する記事に、「帰りも同じ料金を取られるとあって『いっそのこと往復分を売った方が親切だ』」「『往復料金は二重取りにひとしい』との不満の声も聞かれる」との記載があります。

1970年(昭和45年)の開通から5年後の1975年(昭和50年)4月1日、「室戸スカイライン」は全線開通しました。距離は片道約9.1キロ(最御崎寺付近の料金所から室津交差点付近の料金所までは片道約7.1キロ)です。

全線開通したうえ、すで山頂には「国民宿舎むろと」や「スカイレストニューむろと」といった大型施設も完成しており、全線開通前の利用者数が減少した要因は解消されました。ですが、利用者が増加することはありませんでした。

その大きな要因は、1973年(昭和48年)に起こった第四次中東戦争による「オイルショック」です。「オイルショック」によりガソリン価格は高騰、国も石油利用を節約するよう呼びかけました。

1976年(昭和51年)4月12日の高知新聞には、「やっと9万2545台 通行車両は予想の4割」という見出しで、全線開通後1年経過した「室戸スカイライン」のことが書かれています。

1979年(昭和54年)12月29日の高知新聞には、「県営有料道路は借金まみれ 特に深刻な『室戸』」という見出しの記事で、「「室戸スカイライン」他の県営有料道路の中でも利用者が非常に少ない」という内容の記載があります。

このように、全線開通後も利用者が増加することはなく、累積赤字だけが増えていきました。

「スカイレスト ニューむろと」の開業が遅れた理由について

高知新聞記事によると「スカイレスト ニューむろと」は、1970年(昭和45年)の「室戸スカイライン」開通前から計画・用地確保が行われていたことが記載されています。ですが、開業したのは1972年(昭和47年)7月18日で、計画・用地確保から開業まで2年もの期間が空いています。

その理由は自然保護法の指定区域により、建物が景観を壊す恐れがあるとして、県や市からなかなか建設の許可が下りなかったためです。建設の許可が下りるまで何度も建物の設計を変更し、ようやく認められました。

建物の外観はもちろんのこと、建物の色や周辺への影響にも配慮するよう指示がありました。

そのため、建物の色に関しては運営会社・設計担当者・県の自然保護課が協議のうえ、最適な色を選びました。周辺の影響に関しては、室戸岬山麓である室戸岬町の高岡地域へ土砂を流出させないことが条件でした。

このように、「スカイレスト ニューむろと」の計画・用地確保といった動きは早かったものの、建設の許可が下りるまでに時間がかかってしまったのです。

筆者の推測ですが、計画・用地確保後すぐに建設の許可が下りていたならば「室戸スカイライン」の客足が遠のく前に完成し、人気スポットとなっていたかもしれません。

スポンサーリンク

まとめ

●室戸岬山頂に建設された理由は、近い将来に開発されることを想定していたため。

●室戸岬の新しい名所として、「室戸スカイライン」の中心施設およびドライブインのような役割を担っていた。

●「足摺海底館」を立地・完成時期・構造が似ていることからライバル視していた。

●特徴的な外観は、自然保護法による美観保持と強風対策を考慮した結果。

●展望部の外壁が朽ちた理由は、潮風・強風と外壁を薄く軽量に設計したため。

●上部の大砲のような突起は、過酷な天候に耐えるための排気フード。

●休業(閉業)の正確な理由は不明だが、山頂開発の頓挫、オープン当初からの赤字経営、災害リスクの高さが原因ではないかと考えられる。

以上が、「スカイレスト ニューむろと」の閉業理由や設計などの考察です。

最後までご覧いただき、ありがとうございました。

コメント

error:
タイトルとURLをコピーしました