特記事項
●「やまげん」「滝元荘」「滝口温泉」の掲載写真は、2026年5月に撮影したものです。
●旅館の看板を掲げておらず、一般民家として居住していると見受けられる廃業旅館は外観写真の撮影を控えています。
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「【広島県福山市】本郷温泉-はじまりから発展、衰退までの歴史-2026年5月記述」
「【広島県福山市】廃墟化した温泉街-本郷温泉を現地レポ-2024年1月訪問」
「【広島県福山市】本郷温泉の旅館「やまげん」についてパンフレットを基に調査」
「【広島県福山市】本郷温泉の旅館「つるはし」についてパンフレットを基に調査」
こんにちは。
2024年12月に広島県福山市本郷町にある「本郷温泉」という温泉街に訪れました。
本郷温泉は1950年代に開発、1960年代に最盛期を迎えて、大谷川沿いに12軒の旅館が立ち並ぶ広島県最大の温泉街でした。
ですが、70年代になると衰退しはじめ、2016年に全ての旅館が廃業しました。
本郷温泉の詳しい歴史については、こちらをご覧ください。
「【広島県福山市】本郷温泉-はじまりから発展、衰退までの歴史-2026年5月記述」
今回は、最盛期に営業していた12軒の旅館跡を訪問しました。
廃止となった「本郷温泉口」バス停

本郷温泉の入口から南へ約150mほど進んだところに、「本郷温泉口」というバス停がありました。

本郷温泉の末端まであったバス停が廃止されてからは「本郷温泉口」が1番近いバス停でしたが、2024年(令和6年)3月31日をもって廃止となりました。
本郷温泉の入口
歓迎ゲート跡

本郷温泉が現役の頃は、30キロ速度制限標識の前に「本郷温泉」「歓迎」「ようこそ いらっしゃいました」と書かれた歓迎ゲートと、「本郷温泉」「入口」と書かれた内照式看板がありました。
2013年10月までは設置されていたことが確認できており、それ以降に撤去されたようです。
12件の旅館
1:美緑
本郷温泉の入口から一番近い場所に存在したのは、「美緑」(みりょく)という旅館です。開業当初は「日向」という名前でした。

写真中央、大谷川に架かる「大谷東橋」を超えた左手付近に存在しました。本郷温泉街から少し離れた場所です。
営業当時は、洞窟風呂を売りとしていました。
案内看板跡

本郷温泉が現役の頃は、「大谷東橋」を超えたカーブミラーの左側に「本郷温泉峡案内図」「ようこそ本郷温泉へ!」と書かれた案内看板が設置されていました。
また、案内看板には旅館・学生寮を含む、当時営業していた7軒の建物が記載されていました。
2013年10月までは設置されていたことが確認できており、それ以降に撤去されたようです。
2:松露園
「美緑」の次に存在したのは、「松露園」(しょうろえん)という旅館です。

閉業後も看板が掲げられています。
「寺屋敷」バス停跡と待合所跡

「松露園」の前には、「寺屋敷」という名前のバス停がありました。この建物は、そのバス停の待合所でした。
「寺屋敷」という名前の由来は、1638年(寛永15年)に廃寺となった「金山寺」という寺跡がバス停上の山中に存在していたからです。
ここから北に約600mほど進んだ本郷温泉の末端まで、民家や旅館が立ち並び、温泉街の景観になっていきます。
3:大谷荘
「松露園」の次に存在したのは、「大谷荘」(おおたにそう)という旅館です。



「大谷荘」の場所には、1950年(昭和25年)に本郷温泉が再開した際、最初の温泉施設として「大谷温泉」という浴場がありました。それが、のちの「大谷荘」となりました。
1950年(昭和25年)からの本郷温泉再開について、詳しくはこちらをご覧ください。
「【広島県福山市】本郷温泉-はじまりから発展、衰退までの歴史-2026年5月記述」
この旅館は増改築を繰り返しており、本郷温泉の中でも大規模な温泉旅館でした。
営業当時は、関西随一の水車風呂を売りとしていました。
4:胡楼別館
「大谷荘」の次に存在したのは、「胡楼別館」(えびすろうべっかん)という旅館です。


現在も看板が残されています。

看板の裏には建物があり、これが「胡楼別館」であったと思われます。
「胡楼別館」のすぐ隣には、現役で使用されているアパートがあります。
駐車場と「本郷温泉下」バス停跡

アパートの向かいには、道路沿いに駐車場があります。これが、本郷温泉利用客用に整備された駐車場でした。
この駐車場のところに、「本郷温泉下」という名前のバス停がありました。
5:魚清別館
「胡楼別館」の次に存在したのは、「魚清別館」(うおせいべっかん)という旅館です。

アパートの横にある、「本郷憩の森」と書かれた看板の方向へ進んだところにあります。

写真中央、木々の奥にある建物が「魚清別館」です。
営業当時は、ジャングルのように熱帯の木々が生い茂る「ジャングル風呂」を売りとしていました。
「魚清別館」と「ジャングル風呂」の間に大谷川を挟み、渡り廊下で接続していました。

「魚清別館」を通り過ぎて「本郷憩の森」がある道へ進むと、本郷温泉に関する解説板があります。
6:粟根荘
「魚清別館」の次に存在したのは、「粟根荘」(あわねそう)という旅館です。

この旅館は開業当初「ねずみ荘」、その後「万草旅館」と名前が変わり、「粟根荘」となりました。
大谷川を橋で渡った先にあります。
この旅館は現在も建物の維持管理がされています。
7:たつまき荘
「粟根荘」の次に存在したのは、「たつまき荘」(たつまきそう)という旅館です。
「粟根荘」の向かい付近に存在していました。
8:つるはし
「たつまき荘」の次に存在したのは、「つるはし」(つるはし)という旅館です。

写真中央、大谷川に架かる赤い欄干の橋を渡った左手にありました。
営業当時は、円形180度ガラス張りの「空中温泉」という浴場を売りとしていました。
「つるはし」について、詳しくはこちらをご覧ください。
「【広島県福山市】本郷温泉の旅館「つるはし」についてパンフレットを基に調査」
9:末吉
「つるはし」の次に存在したのは、「末吉」(すえよし)という旅館です。

本郷温泉の中で、一番最後まで営業していた旅館です。2016年(平成28年)1月に閉業しました。
閉業後も看板が残されています。
10:滝元荘
「末吉」の次に存在したのは、「滝元荘」(たきもとそう)という旅館です。この旅館は、開業当初は「若竹荘」という名前でした。

2026年5月撮影
大谷川を渡った先にあり、写真に写る木々の奥に存在しました。
「本郷温泉」バス停跡
「滝元荘」の前には、「本郷温泉」という名前のバス停がありました。このバス停が、本郷温泉の一番奥にあった終点のバス停でした。
バス停の開始時期と廃止時期
ここまで、温泉街入口付近に「寺屋敷」、駐車場に「本郷温泉下」、末端に終点として「本郷温泉」というバス停跡を見てきました。
これらのバス停の開始は1960年(昭和35年)1月、本郷温泉街までの路線バス運行開始に合わせて設置されたものです。
バス停の正確な廃止時期は不明ですが、1985年(昭和60年)までは存在が確認できます。ですが、1989年(昭和64年)時点では確認できないため、その期間の間に廃止されたと考えられます。
11:やまげん
「滝元荘」の次に存在したのは、「やまげん」(やまげん)という旅館です。

2026年5月撮影
写真左側、木々に覆われた付近に「やまげん」がありました。
この旅館は、本郷温泉の中で最も標高が高い位置に存在していました。営業当時は、料金の安さと大谷山を一望できる眺めが売りでした。
「やまげん」について、詳しくはこちらをご覧ください。
「【広島県福山市】本郷温泉の旅館「やまげん」についてパンフレットを基に調査」
12:滝口温泉
「やまげん」の次に存在したのは、「滝口温泉」(たきぐちおんせん)という旅館です。この旅館が、本郷温泉の中で最も入口から遠い場所に存在した旅館でした。

2026年5月撮影
写真左側、草木に覆われた付近に存在していました。
「滝口温泉」は源泉に最も近く、温泉旅館としての開業が最も早い旅館でした。
営業当時は、本郷温泉の元祖と大岩風呂を売りとしていました。
まとめ
以上が本郷温泉12軒の旅館跡を訪問した様子です。
ご覧いただきありがとうございました。
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