公開日 2026年10月22日
こんにちは。
今回は、高知県高知市にある「山下シーサイドマンション」という廃墟について調査していきます。
概要
「山下シーサイドマンション」は、高知県高知市にある5階建てマンションです。
建物は細長く、各階に1戸のみの小規模マンションです。マンション隣には、小さな平屋が隣接しています。
現在はマンション・平屋ともに廃墟として建物が残っています。
「山下シーサイドマンション」は建設時期・役割・閉業理由などが不明で、謎が多い廃墟として知られています。また残留物が多数放置されていることから、夜逃げではないかという噂があります。
これらについて調査をした文献やネット記事はなく、曖昧な情報、憶測・噂が広まっています。
この記事が明らかにすること
今回の調査では、当時の背景を踏まえて「山下シーサイドマンション」の歴史、その役割や閉業に至った経緯などを示します。
さらに、建物の特徴や内部の詳細な造りから、このマンションに求められたことを明らかにします。
また最後の住人についてや、残留物を放置して引っ越した理由について考察します。

【2026年2月筆者撮影】写真中央、枯れたツタに覆われたマンションが「山下シーサイドマンション」です。

【2026年2月筆者撮影】正面から見た「山下シーサイドマンション」です。左隣には平屋が隣接しています。

【2026年2月筆者撮影】「山下シーサイドマンション」の館銘板です。
歴史
開業
開業は1972年(昭和47年)です。
「山下シーサイドマンション」は、セカンドハウス・海の家(企業の保養所)を目的としたマンションとして開業しました。
隣接する平屋は、「山下シーサイドマンション」完成より前の1963年(昭和38年)に建てられました。
この平屋は海の家として利用されており、1971年(昭和46年)から1973年(昭和48年)には「山下シーサイドマンション」を建設した会社の海の家がありました。
高知新聞に掲載されている落成広告
1972年(昭和47年)発行の高知新聞に掲載されている落成広告の見出しには、「祝 種崎セカンドハウスマンション山下 落成」とあります。
落成広告には、あいさつ、建物外観写真、海の家として入居した企業などが掲載されています。
海の家について
一般的に海の家というと、夏季限定で海水浴客向けに商売を行う施設を指します。
ですが、海水浴場付近に設けられた企業の保養所を指すこともあります。
このブログにおける海の家は、企業の保養所を指しています。
開業後の様子
開業後はセカンドハウス・海の家として、個人・企業が入居しました。
付近には種崎海水浴場という高知市唯一の海水浴場があり、この一帯は夏になると多くの人で賑わう場所でした。
1970年代、種崎海水浴場の付近には「山下シーサイドマンション」だけでなく、セカンドハウス・海の家を目的としたマンションがいくつか建設されました。
当時、種崎海水浴場付近のセカンドハウス・海の家を目的としたマンションは、非常に人気があったのです。
マンションの人気を表す資料
1973年(昭和48年)発行の高知新聞には、種崎海水浴場付近へ建設されたある分譲マンションについての記事があります。
記事には、1戸900万円前後の部屋がすぐに売れ、全て満室となったことが記載されています。それでも希望者は後を絶たず、購入金額より高額で転売されることもあったようです。
この分譲マンションに常時住んでいるのは数世帯で、多くは週末に訪れるだけの利用とあります。
購入者についても記載があり、団体では企業、個人では会社重役・医者などでした。
このことから設備や規模は異なるものの、同じような役割であった「山下シーサイドマンション」も非常に人気があったと推測できます。
種崎海水浴場について
種崎海水浴場は、高知市種崎の種崎千松公園に隣接する海水浴場です。
高知市内唯一の海水浴場で、1909年(明治42年)には既に海水浴場として市民に親しまれており、1950年(昭和25年)には1日約1万人が訪れました。
最盛期は1950年代前半から1970年代前半で、種崎海水浴場までの巡行船やバスが運行、水着コンテストやナイター営業も行われました。
種崎海水浴場は、歴史と人気を誇る高知県を代表する海水浴場だったのです。
2020年からコロナ禍で開設されず、コロナ禍が収束した2023年からも南海トラフ地震対策の堤防工事が行われていることから、2026年10月現在まで開設されていません。

【2026年2月筆者撮影】種崎海水浴場付近に立ち並ぶ、セカンドハウス・海の家を目的として建設されたマンション群です。写真一番左が「山下シーサイドマンション」です。写真に写る4棟全て、1970年代に建てられています。

【2026年2月筆者撮影】2026年2月現在の種崎海水浴場です。写真に写る、手前から奥までの砂浜一帯が種崎海水浴場でした。2023年から、この辺り沿岸は南海トラフ地震対策の堤防工事が行われており、砂浜には盛り土、沿岸には万里の長城のような堤防が築かれています。
衰退
1980年代前半から、「山下シーサイドマンション」を含む種崎海水浴場付近のセカンドハウス・海の家を目的としたマンションは、徐々に空室が目立つようになりました。
理由は、種崎海水浴場の人気減少です。1970年(昭和45年)8月に高知県へ上陸した台風10号の災害以降、種崎海水浴場の水質が悪化しました。また、学校にプールが普及したことや、若者のマイカー・バイクブームによって高知市外の海水浴場が選ばれるようになったことも、人気減少の要因です。
このような理由から種崎海水浴場は徐々に人気が無くなり、「山下シーサイドマンション」を含む、種崎海水浴場付近のセカンドハウス・海の家を目的としたマンションは需要を失いました。
「山下シーサイドマンション」は、1983年(昭和58年)まで4階・5階に入居者がいたことが確認できています。ですが以降1996年(平成8年)まで、入居者がいたのかは不明です。
隣接する平屋は1973年(昭和48年)以降、数年ごとに入居者が変わっているものの、1995年(平成7年)まで継続して人が住んでいました。1996年(平成8年)には入居者がいない状態となっています。
最後の住人
1997年(平成9年)頃に、測量設計会社を営む一家が自宅兼事務所として入居しました。
「山下シーサイドマンション」全戸を自宅に、隣接する平屋を事務所としました。
この一家が「山下シーサイドマンション」最後の住人でした。測量設計会社は2004年(平成16年)頃に閉業、マンションには2006年(平成18年)頃まで入居していたようです。

【2026年2月筆者撮影】東側から見た「山下シーサイドマンション」です。写真下部が、マンションに隣接する平屋です。
閉業
正確な閉業年は不明です。
入居者がいなくなった時を閉業とするならば、最後の住人が引っ越した2006年(平成18年)頃です。
役割と特徴
役割
先述した通り、「山下シーサイドマンション」はセカンドハウス・海の家としての役割で建てられました。
開業当初に入居したのは全戸、企業が所有する海の家でした。
特徴
「山下シーサイドマンション」は、一時的な海水浴客の利用に特化したマンションでした。
種崎海水浴場沿岸に建つ他のマンションは、リゾートマンションの要素を持ち合わせており、豪華な設備・造りをしていました。間取りは2LDKや3LDKが主でした。
ですが「山下シーサイドマンション」は一時的な海水浴客の利用に特化しており、住居としては簡素な造りをしています。間取りは全戸1DKです。
入居者は「山下シーサイドマンション」のような拠点があることで、専用駐車場がある、混雑なくシャワー・トイレを使用できる、道具・飲食物を置いておくなど、より快適に海水浴を楽しむことができました。
1階ある共用のシャワー室・洗面台・トイレは、海岸に面したマンション裏手からも出入りすることができ、海から上がるとすぐに利用できるようになっていました。
また、各階に1戸のみという造りによって採光や換気がよく、東西南の三方から景色を眺めることができました。

【2026年2月筆者撮影】南西から見た「山下シーサイドマンション」です。南側にオーシャンビューの大開口窓があります。現在、ベランダや屋上に手すりは確認できませんが、完成当時はありました。
内部の造り
「山下シーサイドマンション」
1階
●共同駐車場
●トイレ(和式)
●シャワー・洗面台
●郵便受け
2階
●6畳の和室(押入れ・床の間有)
●オーシャンビューのダイニングキッチン
●同室の風呂・洗面台・トイレ(洋式)
●西側ベランダ(南側ベランダ無)
3階から5階
●6畳の和室(押入れ・床の間有)
●オーシャンビューのダイニングキッチン
●同室の風呂・洗面台・トイレ(洋式)
●南側ベランダ
屋上
●貯水槽
隣接する平屋
●洋室
●キッチン
●風呂
●トイレ
閉業理由
正確な閉業理由は不明です。筆者は、種崎海水浴場の人気減少による需要の低下、転用の難しさ、老朽化と考えます。
種崎海水浴場の人気減少を受けて「山下シーサイドマンション」だけでなく、種崎海水浴場沿岸のセカンドハウス・海の家を目的としたマンションの需要が低下しました。
人気減少によってセカンドハウス・海の家を目的としたマンションは、常に住むための分譲マンションに転用されました。
ですが、「山下シーサイドマンション」は海水浴客の利用に特化した簡素な造りであり、常に住むマンションとしての転用が難しかったと推測します。
商店や一般住宅としても転用しにくい上、築年数と海沿いで老朽化が激しいことから、使用されなくなったと思われます。
残留物が多い理由
現状と事実
「山下シーサイドマンション」と隣接する平屋は、最後に住んでいた住人の物と思われる残留物が放置されています。
マンションには勉強机・ソファ・教科書・小説・衣類・古い家電などの残留物があります。隣接する平屋にはパソコンや当時の書類など、測量設計会社の物が多く残されています。
このような状況からネット上では、夜逃げではないかという噂があります。
まず事実として全戸に個別の入居者がいたのではなく、全戸を自宅とした一家がいました。ネット上では、全入居者が荷物を置いたまま引っ越すしかない状況だったと言われていますが、実際は一家が荷物を置いて引っ越しただけです。
筆者の考察
多くの荷物を置いて引っ越した正確な理由は不明です。
筆者は、2つの理由があると考えます。
解体を見越した放置
1つ目の理由として筆者は、建物の解体を見越して不要物を置いて引っ越したためであると推測します。
引っ越し後に建物が解体される予定ならば、引っ越し先に不要物を持って行かずとも、一緒に処分してもらいたいと考えるでしょう。特にソファや机などの大型粗大ごみは、運搬の手間や処分料金がかかります。
マンションに残されている残留物は小物より大型家具が多く、金目の物や貴重な物は無いように見えます。
隣接する平屋には測量設計会社の物が多く残されています。これらについて2004年(平成16年)頃に会社は閉業しているようであり、引っ越し先で再度会社を開くことがないのであれば、全て不要物であったと思われます。
建物に残留物が放置された場合、解体の際に追加の廃棄費用がかかります。この廃棄費用を支払うのは解体を依頼した建物所有者となることから、通常は良しとしません。
推測ですが、入居者からすると関係がないという認識から放置されたのかもしれません。
所有者とのトラブルによる夜逃げ
2つ目の理由として筆者は、建物所有者と入居者の間で何らかのトラブルがあったのではないかと推測します。
まず、借金取り立てから逃れるための夜逃げとは異なるように見えます。借金取りから逃れる夜逃げであれば突発的になりがちで、家具家電一式、食品や多数の衣類など生活感のある残留物がそのまま残される傾向にあります。また督促状や納税通知書など、金銭に関わる書類が放置されていることが多いです。
ですが、このマンションの夜逃げは事前に準備していたような計画性が見受けられます。残留物が中途半端に無く、生活感のある物もほとんどありません。督促状や納税通知書なども無いことから、一刻を争う夜逃げや取り立てに追われている状況ではなかったと思われます。
完全な筆者の憶測ですが、建物所有者と入居者の間でトラブルがあり、所有者に分からないよう少しずつ引っ越し準備を進めていたのではないでしょうか。
平屋の事務所には頻繁に所有者が訪れるため、片付けることができませんでした。ですが、マンションの部屋内部はひそかに片付けることができます。大型家具が多いのは、運び出すと目立ってしまうためです。または近所に所有者が住んでおり、監視に近いような状況であったことから運び出せず、残すしかなかったのです。
事務所はそのままに、マンション内部の必要なものを運び出し、ある日突然引っ越しました。
普通に引っ越すことができないのは、所有者の指示に従うしかない何らかの契約のうえでマンションに住んでいたためではないでしょうか。
話し合いで解決できる契約ではないため、それがトラブルの元となり、監視をかいくぐるように準備を進めて突然引っ越したのかもしれません。
まとめ
●役割は、セカンドハウス・海の家(企業の保養所)を目的としたマンション。
●開業年は1972年(昭和47年)。
閉業年は不明だが、2006年(平成18年)頃と思われる。
●営業期間は34年間。
●正確な閉業理由は不明だが、需要の低下、転用の難しさ、老朽化と推測。
●残留物が放置されている正確な理由は不明だが、解体を見越した放置や、トラブルによる夜逃げが考えられる。
以上が、「山下シーサイドマンション」を調査した内容です。
最後までご覧いただきありがとうございました。


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